LGBTや特殊性癖など、近年では多様性が尊重されるような社会が
実現しつつあるように思います。
そういった、人の持つ特性や感情、考え方などは様々ですが、
もしもそれらを数値化して並べたとき、多くの場合、
ベルカーブのような形になるのではないでしょうか。
なぜ、あの人はあんな言い方をするんだろう?
昨今では、MBTI診断というものが流行っているようです。
100個の質問に答えることで、自分の性格を分析するというものです。
わたしの診断結果は、INFJ型(提唱者)でした。
提唱者は、深い洞察力と共感力を兼ね備えているようですが、私自身、
それに当てはまっているという感覚がものすごくあります。
常に相手が不愉快にならない言い回しを考えていて、ひとたび「しまった!」という
発言をしてしまうと、向こう数日間は脳内反省会が開かれることになります。
話すことよりも聞くことが得意で、あまり親しくない相手と話すときは
聞き手に回ることが多いです。
話をしていないときも、基本的には頭の中で自分、
もしくは別の人格(知り合いや架空の人物)と1対1で会話をしています。
今回は、そんなわたしが考える、独自なものの見方のようなものを
紹介させていただきたいです。
自分以外の誰かの発言や行動に対し、疑問や怒りを覚える瞬間は
誰しもあると思います。しかし、私なら次のように考えます。
「この人は、ベルカーブのどの位置に属しているだろう?」
他人の人格を矯正したり、思想や考え方を根底から変えるのは不可能に近いですし、
かといってストレスを抱えながら相手に寄り添うのも、なるべくは避けたいです。
となると、考え方や物の見方を変えるしかないのかもしれません。
解決にはつながらなくても、すこしでも心が軽くなればそれで十分だと、
わたしは考えます。
「あのひとはなぜあんな言い方をするんだろう?」
「わたしならこう伝えるのに」
そういったわたしたちの感覚は、平均から逸脱しているのでしょうか。
それとも、逸脱しているのは”彼ら”でしょうか。
わたしの感覚は普通?
YouTubeやTikTokなどで、数多くの動画コンテンツに触れているのですが、
その度に、頭の中で感想を抱いたり、自分の考えを整理したりしています。
煽り運転のニュースを見ていると、
「犯人は免許を返納するべき」
「なんでそんなに先を急いでいるんだろう?」
「急いでも目的地に到着する時間はさほど変わらないのに」
と思って見ています。(実際にコメントはしません。)
コメント欄を見ているとやはり、同様のコメントで溢れかえっており、
犯人や煽り運転に対してではない、全く別の指摘をしているコメントはあっても、
犯人を擁護するようなコメントは見受けられません。
また、真っ先に思い浮かんだ感想と同様のコメントが上位にあり、
たくさんのいいねがついています。
つまり、私が煽り運転に対して抱く感情は、コメント欄にいるひとたちと同じであり、
きっと似たような感性のもとで生きているのではないかと思います。
煽り運転に対してマイナスな感情を抱くのは当たり前だ、と思うかもしれませんが、
少なくとも、運転者本人や、常習的に煽り運転を繰り返しているような人たちは、
私たちと同じ感情は抱かないでしょう。
「前の車が遅すぎるから煽ってやろう」
「特に急いではいないがスピードを出そう」
と思っている人も、やはり一定数いるわけです。
このように、YouTubeのコメント欄を見るだけでも、自分の感覚が平均的か、
そうでないかをある程度確かめることができます。
煽り運転をするひとたち
もしも、煽り運転にマイナスな感情を抱く人たちを中央値とした、
“負の感情指数”をつくるとした場合、煽り運転に肯定的な人は
どこに位置するでしょうか。
オレンジのグラフが人数で、下のコメントが感情や行動です。
人数もグラフ下のコメントもわたしの勝手な想像です。
煽り運転のニュースを見た場合に抱く感情や、
煽り運転に関する行動を指数にすると、上記の図のように
なるのではないか、という想像です。
真ん中は当然一番多く、ほとんどの方がここに位置します。
そして、左に行くほど煽り運転に対して肯定的で、
右に行くほど煽り運転に対して否定的ということになります。
ベルカーブの端にいるひとたち
わたしが伝えたいことは以下の二つです。
・ベルカーブの端に位置する人たちは必ず存在している。
・多くの人は、中央値かその近くに位置している。
このベルカーブの図は、体重、身長、知能指数、足のサイズなど、
様々なデータで目にすることがあります。
当然、身長が2mを超える人もいれば、足のサイズが30cmを超える人も
中にはいます。
しかし、わたし達は往々にして、平均から逸脱するのは身体的な特徴のみだと
思ってしまうことがあります。
「あのひとはなぜあんな言い方をするんだろう?」
と疑問に思うことがありますが、それは平均から逸脱した人の言い方であり、
足のサイズが30cmの人を見かけるのと同じ現象なのではないでしょうか。
足のサイズが30cmの人に対して、「もっと小さくなれよ!」なんて思いませんし、
身長が2mの人に対して、なぜ高いのかの論理的な説明を求めることはしないと思います。
心の中で、「足の大きい人がいるなぁ」とか、「背の高い人がいるなぁ」
と思う程度で終わるはずです。
「あのひとはなぜあんな言い方をするんだろう?」
に対しての具体的な対応策はありませんが、
数値にしたり、分析したりして、俯瞰して眺めることならできると、
わたしは思っています。
この考え方で、少しでも彼らに対する免疫がつけばいいなと、考えています。
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